とあるPWの軌跡(7)
2017年8月27日 MtG(その他)とあるプレインズウォーカーの話を続けるとしよう。
第6話 http://endlesslord.diarynote.jp/201708191931441891/
遂に手に入れたカナディアンスレッショルド。
しかし、一人での調整や友人とのスカイプ対戦をしてみると、恐ろしく取り扱いが難しいデッキであることに、僕は気付いた。
まず、マナ基盤が安定しない。
それも当然、土地は18/60。しかもその配分はフェッチランド8、《不毛の大地》4、デュアルランド6。色マナに繋がる土地は実に14枚である。
普段は土地が24/60のデッキを使う僕にとって、最初に必要だったのはマリガン基準の意識改革だった。
マリガン基準改良の次は、プレイ中のマナ管理。
盤面にある土地は終盤でも1~2枚。多くて3枚。この中で何を唱え、どの程度のマナを残して自ターンを終えるか。こればかりは一人回しでは結論を出せなかった。
その次は、最適なクリーチャー展開の戦略。
《秘密を掘り下げるもの》《敏捷なマングース》《タルモゴイフ》が搭載されるクリーチャーだが、それぞれに長所・短所があり、何を優先して出すべきなのか、という点はさっぱり掴めなかった。
特に《タルモゴイフ》は曲者で、前述のマナ管理問題と相まって、どのタイミングでプレイすれば安全に戦えるのか、という点で悩み続けた。
(安直に2ターン目プレイをしてしまうと、サイズが小さく簡単に除去されるだけでなく、カウンター用マナがないために勝負を決められることもあった。)
そんなこんなで色々勉強はしたものの、結局は対人で使わないとわからないと僕は考えた。
そしてついに、僕は復帰以来初の大会にデビューすることにした。
京都某所のショップでのレガシー初大会は、相当緊張したことを覚えている。
対戦相手の方が心配するくらいビクビクしてたし、シャッフルする手もガクガク震えていた。
相手のカードのテキストがわからなくて何回も確認したし、打てないタイミングで呪文を唱えるといった初歩的なミスもした。
結局Bye込の1-2ではあったものの、それでも参加した方々のおかげで大きな問題もなく大会を終えることができた。
(ちなみにこの日の大会で大学時代の同期や某白の人と出会い、幻想ノ宴への道筋が開けたのだが、それはまた別のお話)
それからは、暇を見つけては様々な大会に参加するようになった。
京都某店で開かれていたFriday Night Legacyは予定が許す限り(2週に1回ほど)参加した。
休日に予定がない時は近所のTCGショップに顔を出し、大会がないか店員に聞いて回った。
(残念ながら、当時はレガシー大会をする地方店舗は少なく、肩を落とすこともしばしばだった。)
大阪日本橋にTCGショップが多いと聞いてからは事あるごとに市街地に出て、余裕があれば大会にも参加した。
インターネットで見つけた関西レガシー大会大手、KMCにもどんどん参加した。
KMCを通じて某大学のMtGサークルや、関西の強豪選手とも知り合うことができた。
いつの間にか、グランプリにも顔を出すようになった。
初めて顔を出したグランプリは、GP横浜2013。
大学時代の友人Bとともに、サイドイベントであるレガシー選手権にも参加した。
(300人規模の大会の第2ラウンドで友人と戦う羽目にあったけど。)
試合も楽しかったし、ショップブースを回るのも楽しかった。
(この時、クジで《タルモゴイフ》を当てた。クジ狂いに目覚めたきっかけである。)
それ以来、近場で開催されるグランプリには積極的に参加するようになった。
「休日だけじゃなくて、平日夜にも戦いたい!」と考えた僕は、ニコ生の対戦枠にも顔を出すようになった。
自分でコミュニティは持っていないものの、各コミュニティの配信主さんと戦ったり、コメントを通じて配信主さんやほかの閲覧者さんとの会話で盛り上がった。
グランプリの際に顔合わせをしたり、オフにも参加するようになった。
経験を積むうちに、カナディアンスレッショルドの動かし方もわかってきた。
このデッキは「相手を知れば8割方解決策を見いだせる」デッキであり、「経験を積むほどに強くなる」デッキであることもわかってきた。
それぞれのパーツの使いどころや、相手のデッキの動き方がわかるほどに、勝率も大きく上げてきた。
究極のいぶし銀である《もみ消し》の魅力に取りつかれたのも、この頃であった。
楽しかった。
すごく楽しかった。
学生時代、青緑マッドネスを手に地元ショップで同じ高校の友達と小さくワイワイやるのも楽しかったが、MtGを通じてどんどん世界が広がっていく今も楽しかった。
レガシー以外のプレイヤーの人と楽しむためや、様々な大会に参加するために、スタンダードやモダンにも手を出した。
いつの間にか勧誘もしたいと思い、勧誘用の弱小デッキまで自作し始めた。
〈株券〉と揶揄されてはいたものの、価値があると思い様々なカードを買い集めた。
正確に測ってはいないが、この頃には投資額も6桁を優に超えていた。
そんな幸せの絶頂の中、僕はあの日を迎える。
2014年4月13日。
奇しくも自分の誕生日であるこの日、僕のMtG人生に転機が訪れる。
(続く)
第8話 http://endlesslord.diarynote.jp/201709032309361864/
第6話 http://endlesslord.diarynote.jp/201708191931441891/
遂に手に入れたカナディアンスレッショルド。
しかし、一人での調整や友人とのスカイプ対戦をしてみると、恐ろしく取り扱いが難しいデッキであることに、僕は気付いた。
まず、マナ基盤が安定しない。
それも当然、土地は18/60。しかもその配分はフェッチランド8、《不毛の大地》4、デュアルランド6。色マナに繋がる土地は実に14枚である。
普段は土地が24/60のデッキを使う僕にとって、最初に必要だったのはマリガン基準の意識改革だった。
マリガン基準改良の次は、プレイ中のマナ管理。
盤面にある土地は終盤でも1~2枚。多くて3枚。この中で何を唱え、どの程度のマナを残して自ターンを終えるか。こればかりは一人回しでは結論を出せなかった。
その次は、最適なクリーチャー展開の戦略。
《秘密を掘り下げるもの》《敏捷なマングース》《タルモゴイフ》が搭載されるクリーチャーだが、それぞれに長所・短所があり、何を優先して出すべきなのか、という点はさっぱり掴めなかった。
特に《タルモゴイフ》は曲者で、前述のマナ管理問題と相まって、どのタイミングでプレイすれば安全に戦えるのか、という点で悩み続けた。
(安直に2ターン目プレイをしてしまうと、サイズが小さく簡単に除去されるだけでなく、カウンター用マナがないために勝負を決められることもあった。)
そんなこんなで色々勉強はしたものの、結局は対人で使わないとわからないと僕は考えた。
そしてついに、僕は復帰以来初の大会にデビューすることにした。
京都某所のショップでのレガシー初大会は、相当緊張したことを覚えている。
対戦相手の方が心配するくらいビクビクしてたし、シャッフルする手もガクガク震えていた。
相手のカードのテキストがわからなくて何回も確認したし、打てないタイミングで呪文を唱えるといった初歩的なミスもした。
結局Bye込の1-2ではあったものの、それでも参加した方々のおかげで大きな問題もなく大会を終えることができた。
(ちなみにこの日の大会で大学時代の同期や某白の人と出会い、幻想ノ宴への道筋が開けたのだが、それはまた別のお話)
それからは、暇を見つけては様々な大会に参加するようになった。
京都某店で開かれていたFriday Night Legacyは予定が許す限り(2週に1回ほど)参加した。
休日に予定がない時は近所のTCGショップに顔を出し、大会がないか店員に聞いて回った。
(残念ながら、当時はレガシー大会をする地方店舗は少なく、肩を落とすこともしばしばだった。)
大阪日本橋にTCGショップが多いと聞いてからは事あるごとに市街地に出て、余裕があれば大会にも参加した。
インターネットで見つけた関西レガシー大会大手、KMCにもどんどん参加した。
KMCを通じて某大学のMtGサークルや、関西の強豪選手とも知り合うことができた。
いつの間にか、グランプリにも顔を出すようになった。
初めて顔を出したグランプリは、GP横浜2013。
大学時代の友人Bとともに、サイドイベントであるレガシー選手権にも参加した。
(300人規模の大会の第2ラウンドで友人と戦う羽目にあったけど。)
試合も楽しかったし、ショップブースを回るのも楽しかった。
(この時、クジで《タルモゴイフ》を当てた。クジ狂いに目覚めたきっかけである。)
それ以来、近場で開催されるグランプリには積極的に参加するようになった。
「休日だけじゃなくて、平日夜にも戦いたい!」と考えた僕は、ニコ生の対戦枠にも顔を出すようになった。
自分でコミュニティは持っていないものの、各コミュニティの配信主さんと戦ったり、コメントを通じて配信主さんやほかの閲覧者さんとの会話で盛り上がった。
グランプリの際に顔合わせをしたり、オフにも参加するようになった。
経験を積むうちに、カナディアンスレッショルドの動かし方もわかってきた。
このデッキは「相手を知れば8割方解決策を見いだせる」デッキであり、「経験を積むほどに強くなる」デッキであることもわかってきた。
それぞれのパーツの使いどころや、相手のデッキの動き方がわかるほどに、勝率も大きく上げてきた。
究極のいぶし銀である《もみ消し》の魅力に取りつかれたのも、この頃であった。
楽しかった。
すごく楽しかった。
学生時代、青緑マッドネスを手に地元ショップで同じ高校の友達と小さくワイワイやるのも楽しかったが、MtGを通じてどんどん世界が広がっていく今も楽しかった。
レガシー以外のプレイヤーの人と楽しむためや、様々な大会に参加するために、スタンダードやモダンにも手を出した。
いつの間にか勧誘もしたいと思い、勧誘用の弱小デッキまで自作し始めた。
〈株券〉と揶揄されてはいたものの、価値があると思い様々なカードを買い集めた。
正確に測ってはいないが、この頃には投資額も6桁を優に超えていた。
そんな幸せの絶頂の中、僕はあの日を迎える。
2014年4月13日。
奇しくも自分の誕生日であるこの日、僕のMtG人生に転機が訪れる。
(続く)
第8話 http://endlesslord.diarynote.jp/201709032309361864/
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