とあるPWの軌跡(5)
2017年7月8日 MtG(その他)とあるプレインズウォーカーの話を続けるとしよう。
第4話 http://endlesslord.diarynote.jp/201707022101208673/
2008年、東京某所。
大学生活を満喫していた僕は友人宅にて、友人二人が地球〇衛軍2を楽しんでいるかたわら、友人PCでブロック崩しをしていた。
(よくわからない状況と思うだろうが、僕もなぜこんな状況だったのかわからない)
ブロック崩しがひと段落し、ふと棚を見ると、見覚えのある紙があった。
茶色の背景に5色の丸、大きく書かれた5つのアルファベット。
何となく手に取り、表を見ると見覚えのある刃っぽい体の生物。
スリヴァーだった。
「あれ、toldaってギャザに興味ある?」
それが、僕を再び多元宇宙に呼び戻す言葉となった。
話を聞いたところ、友人は2人とも過去にMtGをやっていた、言わば僕と同じような境遇だった。
その中の友人Aは、上京の際に実家から何となく自分のデッキを持ってきたとのこと。
中身は、カウンタースリヴァーと、スリヴァービートダウン。完全なスリヴァー狂だった。
一方の友人Bも実家にデッキを置いてあるらしい(こちらはエルフ)。
そこで、次の長期休暇までにそれぞれのデッキを持ち寄ることになった。
そんなこんなで始まった、インターネットでルールを確認しながら始まった異種スタン混合フリープレイ。
ルール変更に戸惑いながらも、当然ながら楽しかった。
(一番ショックだったのは、ダメージスタック制度が廃止されていたこと。ドヤ顔でブロッククリーチャー指定後に自分の《野生の雑種犬》に《霊気の噴出》を撃ったら「あ、今だと当て逃げできないんで無駄打ちだね」と言われ真顔になったことを憶えている。)
1日楽しんだ後、3人とも当時のスタンダードや他のフォーマットに興味を持ち始めた。
調べてみると、自分たちが慣れ親しんだカード(テンペスト期~オデッセイ期)も使えるレガシーというフォーマットを見つけた。
このフォーマットなら、今からでも楽しめるのではないか。
そう考えた僕らは、近くのTCGショップ(東京なので数は多かった)やネットオークション(人気高額カードよりは、過去のエキスパンションカード詰め合わせをよく探した)でカードを買い集めた。
デッキを作っては遊び、ネットで情報を集めては違うカードを買い、大学にいる他の友人に声をかけて仲間に入れ…。
いつの間にか、MtGは僕の大学生活の大きなウェイトを占めるようになった。
(講義や研究室の都合上、流石にMtGのみというわけにはいかなかった)
ただこの頃は、大会のような「自分の知らない人と戦う」場には参加しなかった。
あくまで友人同士の遊びであり、レガシーといっても旧スタンに毛が生えた程度の、カジュアルレガシーそのものだった。
(僕の場合、《霧深い雨林》と《梅沢の十手》を足しただけの青緑マッドネスがメインデッキだった。)
それでも、アルバイトで稼いだお金を突っ込んで買った大量のカードのおかげで様々なデッキを作ることができたこともあり、飽きることはなかった。
改良型青緑マッドネスで《修繕》入りの青茶単と戦うといった恐ろしいこともしていたが、やはり楽しかった。
(ちなみにこのマッチの勝敗は五分五分だった。サイドボードの《帰化》のおかげである。)
そのうち、研究室配属で実験等に明け暮れるうち、次第に遊べる時間も減っていったが、MtGを辞めることはなかった。
ネットの発達のおかげで、情報収集に困ることもなかったし、同様に忙しくなった友人たちともチャット等でMtGの話題で盛り上がることができた。
最終的に、大学卒業後の就職先の関係で友人たちと離れることになったが、それでもデッキは手放さなかった。
友人たちとはネットでいつでも連絡をとれる状態だったし、東京のTCGショップの盛況ぶりを見た後で、別の地方に行ってもMtGをやる場所はあるだろう、と考えることができたから。
今思うと、自分の成長や時代の流れが、僕とMtGを繋ぎとめてくれたのだろう。
こんな感じで、僕の大学MtG生活はカジュアルレガシープレイヤーとして幕を閉じた。
結局大会には出なかったし、レガシープレイヤーと言いながらデュアルランドを1枚も持っていない、単なる「下手の横好き」のまま、東京を離れることになった。
就職先は、関西。
最初は慣れない社会人生活で、誰かと対戦することもなかった。
ただ、MtGに関する情報収集と、大学時代の友人との交流は続けていた。
そんななか、ネットオークションで見つけた1つの出品。
それが、カジュアルレガシープレイヤーだった僕をレガシープレイヤーへと変えるきっかけとなる。
(続く)
第6話 http://endlesslord.diarynote.jp/201708191931441891/
第4話 http://endlesslord.diarynote.jp/201707022101208673/
2008年、東京某所。
大学生活を満喫していた僕は友人宅にて、友人二人が地球〇衛軍2を楽しんでいるかたわら、友人PCでブロック崩しをしていた。
(よくわからない状況と思うだろうが、僕もなぜこんな状況だったのかわからない)
ブロック崩しがひと段落し、ふと棚を見ると、見覚えのある紙があった。
茶色の背景に5色の丸、大きく書かれた5つのアルファベット。
何となく手に取り、表を見ると見覚えのある刃っぽい体の生物。
スリヴァーだった。
「あれ、toldaってギャザに興味ある?」
それが、僕を再び多元宇宙に呼び戻す言葉となった。
話を聞いたところ、友人は2人とも過去にMtGをやっていた、言わば僕と同じような境遇だった。
その中の友人Aは、上京の際に実家から何となく自分のデッキを持ってきたとのこと。
中身は、カウンタースリヴァーと、スリヴァービートダウン。完全なスリヴァー狂だった。
一方の友人Bも実家にデッキを置いてあるらしい(こちらはエルフ)。
そこで、次の長期休暇までにそれぞれのデッキを持ち寄ることになった。
そんなこんなで始まった、インターネットでルールを確認しながら始まった異種スタン混合フリープレイ。
ルール変更に戸惑いながらも、当然ながら楽しかった。
(一番ショックだったのは、ダメージスタック制度が廃止されていたこと。ドヤ顔でブロッククリーチャー指定後に自分の《野生の雑種犬》に《霊気の噴出》を撃ったら「あ、今だと当て逃げできないんで無駄打ちだね」と言われ真顔になったことを憶えている。)
1日楽しんだ後、3人とも当時のスタンダードや他のフォーマットに興味を持ち始めた。
調べてみると、自分たちが慣れ親しんだカード(テンペスト期~オデッセイ期)も使えるレガシーというフォーマットを見つけた。
このフォーマットなら、今からでも楽しめるのではないか。
そう考えた僕らは、近くのTCGショップ(東京なので数は多かった)やネットオークション(人気高額カードよりは、過去のエキスパンションカード詰め合わせをよく探した)でカードを買い集めた。
デッキを作っては遊び、ネットで情報を集めては違うカードを買い、大学にいる他の友人に声をかけて仲間に入れ…。
いつの間にか、MtGは僕の大学生活の大きなウェイトを占めるようになった。
(講義や研究室の都合上、流石にMtGのみというわけにはいかなかった)
ただこの頃は、大会のような「自分の知らない人と戦う」場には参加しなかった。
あくまで友人同士の遊びであり、レガシーといっても旧スタンに毛が生えた程度の、カジュアルレガシーそのものだった。
(僕の場合、《霧深い雨林》と《梅沢の十手》を足しただけの青緑マッドネスがメインデッキだった。)
それでも、アルバイトで稼いだお金を突っ込んで買った大量のカードのおかげで様々なデッキを作ることができたこともあり、飽きることはなかった。
改良型青緑マッドネスで《修繕》入りの青茶単と戦うといった恐ろしいこともしていたが、やはり楽しかった。
(ちなみにこのマッチの勝敗は五分五分だった。サイドボードの《帰化》のおかげである。)
そのうち、研究室配属で実験等に明け暮れるうち、次第に遊べる時間も減っていったが、MtGを辞めることはなかった。
ネットの発達のおかげで、情報収集に困ることもなかったし、同様に忙しくなった友人たちともチャット等でMtGの話題で盛り上がることができた。
最終的に、大学卒業後の就職先の関係で友人たちと離れることになったが、それでもデッキは手放さなかった。
友人たちとはネットでいつでも連絡をとれる状態だったし、東京のTCGショップの盛況ぶりを見た後で、別の地方に行ってもMtGをやる場所はあるだろう、と考えることができたから。
今思うと、自分の成長や時代の流れが、僕とMtGを繋ぎとめてくれたのだろう。
こんな感じで、僕の大学MtG生活はカジュアルレガシープレイヤーとして幕を閉じた。
結局大会には出なかったし、レガシープレイヤーと言いながらデュアルランドを1枚も持っていない、単なる「下手の横好き」のまま、東京を離れることになった。
就職先は、関西。
最初は慣れない社会人生活で、誰かと対戦することもなかった。
ただ、MtGに関する情報収集と、大学時代の友人との交流は続けていた。
そんななか、ネットオークションで見つけた1つの出品。
それが、カジュアルレガシープレイヤーだった僕をレガシープレイヤーへと変えるきっかけとなる。
(続く)
第6話 http://endlesslord.diarynote.jp/201708191931441891/
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