とあるPWの軌跡(3)
2017年6月10日 MtG(その他)とあるプレインズウォーカーの話を続けるとしよう。
第2話 http://endlesslord.diarynote.jp/201706042014167423/
オデッセイ 2001年10月発売
新ルール フラッシュバック、スレッショルド
2002年初め、僕は赤緑スレッショルド入りステロイドを使っていた。
マナクリーチャーで加速しつつ墓地を肥やし《敏捷なマングース》や《熊人間》をクロッカーに変貌させながら殴り切るデッキだ。
この頃にはルールもデッキ内シナジーも把握できており、「手札を捨てて墓地を増やす」ことは単純なディスアドバンテージではないと理解していた。
「オデッセイブロックは墓地がテーマ」
そう言われる中、ブロック第2エキスパンションであるトーメントにはどんなルールが入るんだろうとワクワクしていたことを記憶している。
そして、その時は訪れる。
トーメント 2002年2月発売
新ルール マッドネス
初めてマッドネスのルールを知ったとき、流石の僕も混乱した。
特に「捨てたときって、クリーチャーを相手ターンエンド前に落としてもマッドネス唱えられるの?」という点が、瞬速使いでない自分にとっては受け入れにくいものだった。
(ちなみにマッドネスのスタック上ルールは今でも複雑、Wiki参照)
そのうちルールは理解したものの、前述のステロイドがある程度戦えていたこともあり、早々にデッキが変わることもなかった。
あれは、いつの「ぎゃざ」だっただろうか?
友達から譲ってもらったその雑誌をボーっと眺めていた時に、その記事はあった。
「Ken Ho選手、プロツアー大阪(ブロック構築)にて青緑マッドネスを使って優勝!」
記事をスルーしようとして、二度見したことを覚えている。
そこに書いてあったデッキリストは、余りに美しかった。
高速でクリーチャーを展開しながら、打ち消しとバウンスを駆使して殴り切る…。
自分の出発点だった「奇襲」と共通していたそのデッキに、すぐに魅了された。
幸運だったのは、曲がりなりにも同じようなデッキをすぐ作れたことだった。
完成した僕の青緑マッドネス(スタンダード)は、「速い」「安い」「強い」を兼ね備えた素晴らしいデッキへと成長していった。
「速い」のはクリーチャーの展開速度であり、デッキの回転が良いときは、《日を浴びるルートワラ》×2、《野生の雑種犬》、《尊大なワーム》、6/6 ワームトークン(《ワームの咆哮》のフラッシュバック)を各ターンにて順番に展開することができた。
赤緑ステロイドも早かったが、マナクリーチャーが入ってないこのデッキで同等以上の速度を出せたことは驚きだった。
「安い」とは構築のための費用であり、事実搭載されているレアは《ヤヴィマヤの沿岸》だけであった。
それほどの安さなのに「強い」。当時のトップメタであり、多くの高額カードを搭載していた激動サイカトグデッキ相手でも全く引けを取らなかった。
《堂々巡り》によるカウンター、《霊気の噴出》によるバウンスといった対策カードに、《入念な研究》や《綿密な分析》といったドローサポートまであった。
直接クリーチャーを除去することはできなかったが、このデッキは本当に「何でもできた」。
「万能」という概念に憧れを持っていた僕は、その学生時代のほとんどにおいて、このデッキを愛用して戦い続けた。
トーメント発売当初からその強さ・万能さの兆しを見せていた青緑マッドネスだったが、ブロック第3エキスパンションであるジャッジメントでさらに追い風となった。
青のインカーネーション、《不可思議》の収録。
クリーチャーとしては普通だが、墓地に落ちれば「島をコントロールしている限り、自軍の全クリーチャーが飛行を持つ」という、とんでもない性能。
早い段階で《入念な研究》や《野生の雑種犬》から意図的に墓地に落とせば、5ターン目に6/6飛行ワームが殴りかかるという驚異的な状況を作り出せた。
(当時から思っていたが、羽の生えたワームというのは想像すると怖い)
さらに強くなったこのデッキを使いつづけることで、僕の戦績も勝率6割ほどになった。
勝てることが楽しかった。
自分が好きなことをして戦えることが楽しかった。
何よりも、友達や対戦相手と話をしながら、悩み考えながら対戦し、最後は笑って終われるという、MtGの文化が楽しかった。
こうして、青緑マッドネスとともに2002年を走り続けたtolda。
しかし翌年、2003年に転機が訪れる。
(続く)
第4話 http://endlesslord.diarynote.jp/201707022101208673/
【あとがき】
ということで、〇学生時代の私のMtG青春絶頂期の話でした。
今思うと青緑マッドネスって相当チートでしたね…。
ただ、トップメタが激動サイカトグとかいう酷いデッキだったこともあり、結局叩かれませんでしたが。
せっかくですので、当時のデッキを覚えている限り再現しました。
// Lands
9 Island
11 Forest
4 Yavimaya Coast
// Creatures
4 Basking Rootwalla
4 Wild Mongrel
4 Aquamoeba
1 Merfolk Looter
4 Arrogant Wurm
2 Wonder
// Spells
4 Careful Study
4 Aether Burst
4 Circular Logic
2 Roar of the Wurm
2 Deep Analisys
1 Urpheaval
サイドボードには《たい肥》とか《幻影のケンタウロス》のような黒対策を多く入れていたと記憶しています。
プロツアー大阪02優勝者であるKen Hoのデッキや、本デッキの基本コンセプトはMtG Wikiを参照ください。
さて、今回はドはまりしていた時代を書きましたが、次回から少しずつ暗めの内容になりますのでご注意を。
第2話 http://endlesslord.diarynote.jp/201706042014167423/
オデッセイ 2001年10月発売
新ルール フラッシュバック、スレッショルド
2002年初め、僕は赤緑スレッショルド入りステロイドを使っていた。
マナクリーチャーで加速しつつ墓地を肥やし《敏捷なマングース》や《熊人間》をクロッカーに変貌させながら殴り切るデッキだ。
この頃にはルールもデッキ内シナジーも把握できており、「手札を捨てて墓地を増やす」ことは単純なディスアドバンテージではないと理解していた。
「オデッセイブロックは墓地がテーマ」
そう言われる中、ブロック第2エキスパンションであるトーメントにはどんなルールが入るんだろうとワクワクしていたことを記憶している。
そして、その時は訪れる。
トーメント 2002年2月発売
新ルール マッドネス
初めてマッドネスのルールを知ったとき、流石の僕も混乱した。
特に「捨てたときって、クリーチャーを相手ターンエンド前に落としてもマッドネス唱えられるの?」という点が、瞬速使いでない自分にとっては受け入れにくいものだった。
(ちなみにマッドネスのスタック上ルールは今でも複雑、Wiki参照)
そのうちルールは理解したものの、前述のステロイドがある程度戦えていたこともあり、早々にデッキが変わることもなかった。
あれは、いつの「ぎゃざ」だっただろうか?
友達から譲ってもらったその雑誌をボーっと眺めていた時に、その記事はあった。
「Ken Ho選手、プロツアー大阪(ブロック構築)にて青緑マッドネスを使って優勝!」
記事をスルーしようとして、二度見したことを覚えている。
そこに書いてあったデッキリストは、余りに美しかった。
高速でクリーチャーを展開しながら、打ち消しとバウンスを駆使して殴り切る…。
自分の出発点だった「奇襲」と共通していたそのデッキに、すぐに魅了された。
幸運だったのは、曲がりなりにも同じようなデッキをすぐ作れたことだった。
完成した僕の青緑マッドネス(スタンダード)は、「速い」「安い」「強い」を兼ね備えた素晴らしいデッキへと成長していった。
「速い」のはクリーチャーの展開速度であり、デッキの回転が良いときは、《日を浴びるルートワラ》×2、《野生の雑種犬》、《尊大なワーム》、6/6 ワームトークン(《ワームの咆哮》のフラッシュバック)を各ターンにて順番に展開することができた。
赤緑ステロイドも早かったが、マナクリーチャーが入ってないこのデッキで同等以上の速度を出せたことは驚きだった。
「安い」とは構築のための費用であり、事実搭載されているレアは《ヤヴィマヤの沿岸》だけであった。
それほどの安さなのに「強い」。当時のトップメタであり、多くの高額カードを搭載していた激動サイカトグデッキ相手でも全く引けを取らなかった。
《堂々巡り》によるカウンター、《霊気の噴出》によるバウンスといった対策カードに、《入念な研究》や《綿密な分析》といったドローサポートまであった。
直接クリーチャーを除去することはできなかったが、このデッキは本当に「何でもできた」。
「万能」という概念に憧れを持っていた僕は、その学生時代のほとんどにおいて、このデッキを愛用して戦い続けた。
トーメント発売当初からその強さ・万能さの兆しを見せていた青緑マッドネスだったが、ブロック第3エキスパンションであるジャッジメントでさらに追い風となった。
青のインカーネーション、《不可思議》の収録。
クリーチャーとしては普通だが、墓地に落ちれば「島をコントロールしている限り、自軍の全クリーチャーが飛行を持つ」という、とんでもない性能。
早い段階で《入念な研究》や《野生の雑種犬》から意図的に墓地に落とせば、5ターン目に6/6飛行ワームが殴りかかるという驚異的な状況を作り出せた。
(当時から思っていたが、羽の生えたワームというのは想像すると怖い)
さらに強くなったこのデッキを使いつづけることで、僕の戦績も勝率6割ほどになった。
勝てることが楽しかった。
自分が好きなことをして戦えることが楽しかった。
何よりも、友達や対戦相手と話をしながら、悩み考えながら対戦し、最後は笑って終われるという、MtGの文化が楽しかった。
こうして、青緑マッドネスとともに2002年を走り続けたtolda。
しかし翌年、2003年に転機が訪れる。
(続く)
第4話 http://endlesslord.diarynote.jp/201707022101208673/
【あとがき】
ということで、〇学生時代の私のMtG青春絶頂期の話でした。
今思うと青緑マッドネスって相当チートでしたね…。
ただ、トップメタが激動サイカトグとかいう酷いデッキだったこともあり、結局叩かれませんでしたが。
せっかくですので、当時のデッキを覚えている限り再現しました。
// Lands
9 Island
11 Forest
4 Yavimaya Coast
// Creatures
4 Basking Rootwalla
4 Wild Mongrel
4 Aquamoeba
1 Merfolk Looter
4 Arrogant Wurm
2 Wonder
// Spells
4 Careful Study
4 Aether Burst
4 Circular Logic
2 Roar of the Wurm
2 Deep Analisys
1 Urpheaval
サイドボードには《たい肥》とか《幻影のケンタウロス》のような黒対策を多く入れていたと記憶しています。
プロツアー大阪02優勝者であるKen Hoのデッキや、本デッキの基本コンセプトはMtG Wikiを参照ください。
さて、今回はドはまりしていた時代を書きましたが、次回から少しずつ暗めの内容になりますのでご注意を。
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