とあるプレインズウォーカーの話を続けるとしよう。

第1話 http://endlesslord.diarynote.jp/201705282316035778/


アポカリプスの構築済みデッキ「奇襲」を手にした僕は、友人と情報を交換しながら少しずつデッキをチューニングしていった。

まず手を付けたのは白だった。
当時の緑白には《アルマジロの外套》(+3/+3、トランプル付与のオーラエンチャント)が存在しており、その圧倒的な強さに僕は惹かれた。
また白は正義の色ということで、純粋な少年だった僕にはとても魅力的だった。
(白は「正義を押し付ける色」ということを知るのはもう少し先のこと)
こうして、「奇襲」デッキに白を足したトリーヴァカラーデッキが完成した。
(バントという名前が出てくるのももう少し先のこと)
しかし、当時は高めだったペインランドが入っていないこともあり、色事故を多発。
考えた末、使いこなせなかった青を除いた白緑ビートダウンへと変わっていった。

この白緑をある程度使っていくうち、相手のクリーチャーを除去できないことに不満を抱くようになっていった。
また、マナクリは入っているものの中速デッキであり、動きが緩慢なところも気になった。
そして僕は赤に注目した。
当時流行していたファイアーズに似た赤緑ステロイドデッキを作成し、上記の悩みを克服した。

ちなみに、黒には一切手を出さなかった。
自分にとって黒=悪だったうえ、自分のライフを削って戦うというスタイルがどうしても好きになれなかった。

この頃になるとデッキ内のシナジーに気を使うようになり、様々な情報を集めるようになっていた。
ネット環境がなかった我が家では、友人が印刷してくれたカードリスト(1エキスパンションにつきA4用紙50枚ほど)を読みふけった。
引退したという別の友人が格安で譲ってくれた1000枚以上のカードの束(既にスタンダード落ち)を一枚ずつ眺め続けた。
学校では、暇なときにノートにデッキリストを書き、いつの間にか増えていた友人プレイヤー数名と議論を行った。
毎週のようにショップに通い、少ないお小遣いでパックを買ったり、大会に参加したりした。
勝てるようなデッキではなかったが、それはそれで楽しかった。

そして時は流れ、2002年2月。
オデッセイブロック第2エキスパンション、トーメント発売。
この後、僕は運命のデッキに出会うこととなる。

(続く)

第3話 http://endlesslord.diarynote.jp/201706101843432655/

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